『ちむどんどん』第125回 68歳の暢子が沖縄で元気に過ごす

2022年度前期の朝ドラ『ちむどんどん』最終週である、第25週「やんばる!ちむどんどん!」の最終回第125回が、9月30日(金)に放送されました。
この記事では、『ちむどんどん』第25週第125回のあらすじを追っていきます。
私は、『ちむどんどん』全125回を鑑賞済みです。

記事では、おすすめしたい商品の楽天広告を貼っています。チョコミントブログの広告リンクから商品をご購入いただくと、運営人に一部が成果報酬として送られる仕組みです。同時に、Google Adsenseの広告も貼っています。

1985年のある日、砂川歌子の熱が下がらない

時は1985年

青柳暢子あおやなぎのぶこの妹で砂川智(前田公輝まえだごうきさん)の奥さん・砂川歌子(上白石萌歌かみしらいしもかさん)は、暢子の沖縄料理店「やんばるちむどんどん」の開店初日に倒れてしまいました。

その後「沖縄文化北広域病院」へと運ばれますが、3日間熱が下がらず「死んでしまうのでは」と心配させるほどの容態でした。

千葉の養豚場にいた歌子の兄、比嘉賢秀ひがけんしゅう(通称ニーニー)(竜星涼りゅうせいりょうさん)もタクシーで病院に駆けつけます。
さらにニーニーは、鞄一つでタクシーから降りるとお金を払うのを忘れてしまいます。




タクシー運転手としてゴリが登場

「お客さん、お金!」。タクシーの運転手を演じたのは、沖縄県出身でお笑い芸人のゴリさんです。

タクシー代を払わず、焦って病院の入り口に向かうニーニー。運転手さんは彼を追いかけます。そして賢秀は病院の窓口のお姉さん(高園みほさん)に、「歌子は?歌子はどこ!俺さ俺!」と必死です。

最終回の開始33秒で、くすっと笑えるドタバタ劇を繰り広げた竜星涼さんの名演技に注目してください。
私的に竜星さんは、『ちむどんどん』のVIP。もっと言えば、朝ドラ史に残る人生設計が上手くない、だけど家族思いの素敵なお兄ちゃんです。




比嘉賢秀が病室に到着

そこに暢子の夫でしっかり者の青柳和彦(宮沢氷魚みやざわひおさん)が、賢秀を歌子の病室に案内します。
病室には、

・3日間熱が下がらず寝ている歌子
・一番近くで寄り添っている智
・青柳暢子(黒島結菜さん)
・石川良子(川口春奈さん)
・母親の比嘉優子(仲間由紀恵さん)

の5人がいました。賢秀は歌子の肩を持ち、「起きれ!」と体をゆすります。これは、と思った姉の良子が賢秀を止めにかかります。その様子を見て優子は「大丈夫。歌子は強い子だから」と言います。

暢子&賢秀&良子は海に行く

青柳暢子は賢秀と良子を呼び、病室の外に連れ出します。

病室の外に行くと、青柳和彦が比嘉賢秀の代わりにタクシー代を払っていました。賢秀は、運転手さんに強引に「もう一回乗せて」と頼み、父・比嘉賢三(大森南朋おおもりなおさん)のお墓がある海に移動します。

運転手さんも、タクシー代を払わない賢秀を追って海まで来ます。そこで暢子が、「おかあちゃーん。おとうちゃーん。歌子を助けてちょうだーい」と海に向かってこう叫びます。

賢三のお墓には、ちょうどお墓参りをする「まもるちゃん」(松原正隆まつばらまさたかさん)がいました。運転手のゴリさんも、大声で「おとうちゃーん!」と叫んでくれます。
それにしても、沖縄の海が綺麗すぎる。

砂川歌子の意識が戻る

一方、病院の病室では比嘉優子(仲間由紀恵さん)と砂川智、青柳和彦の3人が歌子を見守っていました

彼女の枕元には、「フーチバージューシー」という暢子が作った、沖縄の炊き込みご飯がお皿で置かれています。すると歌子がやっと、目を覚まします。

青柳和彦が病院の先生を呼びに行きます。家族全員の願いが叶ったのだと思いますね。ここで、亡き賢三のナレーションが流れます。

2020年代、青柳暢子は60代に

そこから35年以上あとの、舞台は202X年(令和X年)の沖縄・やんばる。
主人公の青柳暢子(黒島結菜さん)は1972年度に19歳だったので、2020年度に67歳になっていますね。




前田善一(山路和弘)の売店は営業中

前田善一(声優で俳優の山路和弘さん)の「山原村やんばるそん共同売店」は、令和に入っても営業していました。
比嘉賢三(大森南朋さん)のお墓では、もう一人の人にお花が添えられています。

暢子も料理店の営業を続けている

暢子が開業したやんばるの沖縄料理店「やんばるちむどんどん」は、入口の黒板にこう書かれています。
「ハイサイ!!まかちぃくぃみそーれー」

「やんばるちむどんどんは、1985年の開店から、多くの方々に支えられてこれまで続けることができました。季節の島野菜を工夫し、おばあたちの知恵を受け継いだ味を表現しています。ごゆっくりお召し上がりください!」。
「いみそーれ」は「お入りください」という意味です。

やんばるちむどんどんは、営業中でした。暢子の高校の先輩で、今はブラジルにいる新城正男しんじょうまさお(秋元龍太朗さん)からもらったコーヒー豆も、店に置いてあります。

家族が大集結

60代後半になった暢子は、ゴーヤーを持って店に入ると、青柳健彦(西銘駿にしめしゅんさん)の3人の娘たちが彼女を出迎えます。

青柳和彦も暢子も健在で、今も元気に店の営業をしているそう。石川良子や夫の石川博夫(山田裕貴さん)、娘・晴海とその旦那さん、その2人の子どもも登場。
さらに、比嘉賢秀の孫(子役・浅川大治あさかわだいじさん)が「ジージーに勝ったぞ!俺が沖縄の一番星だい!」とコスモバンドを頭につけて主張します。賢秀の奥さんの猪野清恵いのきよえ(佐津川愛美さん)、その娘と旦那さん、もう一人の孫も登場。

また、砂川智&歌子夫妻とその子ども、孫(子役・布施愛織さん)も元気に現れます。
歌子の「この10年風邪も引いてないよ」という台詞は、幼少期~30代までの病弱なイメージを払拭できる言葉でした。

母・比嘉優子の誕生日

さらに、暢子たちの母・優子がこの日に誕生日を迎えます。

大家族が沖縄料理店「やんばるちむどんどん」に集まり、優子を待ちます。
次女の暢子が67歳より上くらいなので、優子はこのとき100歳近いのではないでしょうか。
「ハッピーバースデートゥ優子」と、暢子の孫が優子に誕生日ケーキを持っていきます。そのとき、暢子は賢三の声が聞こえてきたようで、一人だけ驚きを隠せません。

川口春奈&山田裕貴の石川夫妻など、家族の未来

202X年の気になる比嘉家の「その後」は、ナレーションで語られます。

【比嘉賢秀】
猪野養豚場でこつこつ豚を育て続け、昔家族に借りたお金を全て倍にして返済した。


【石川良子】
夫婦で小学校の校長を務め、銀婚式には海外旅行に行く夢を叶えた。
良子が20代?の時に夫の博夫(山田裕貴さん)と海外旅行をする予定でした。しかし訳あって、東京・杉並の「ちむどんどん」開店に必要なお金に回していました。


【砂川歌子】
三線さんしんのレコードを多く出し、子どもたちに唄三線を教えている。夫の砂川智は歌子の歌手活動を支えている。


【青柳和彦】
念願だった沖縄に関する書籍を出版。本のタイトルは、『沖縄の歩み─暮らしと文化の記録─』『私たちの沖縄』『琉球・沖縄の民俗史』『沖縄の現代史』『沖縄日誌』『沖縄の文化について』『沖縄と民俗学』の7冊。民俗学分野でその功績を称えられ、沖縄文化を発信し続けている。
【青柳暢子】
「やんばるちむどんどん」の営業を35年続けて68歳になる。新聞にもそのことが記事に載り、今日も料理三昧の日々を送る。

暢子の沖縄料理店でふるまわれる4つの料理

202X年の「やんばるちむどんどん」では、以下4つの料理をみんなで食べています。ここでは、楽天さんの商品リンクも一緒に失礼いたします。 

1.「ハンダマのサラダ」
2.「フーチバーのポルケッタ」
3.お馴染みの「タコライス」
4.「アーサのゼッポリーネ」

18歳から銀座の「アッラ・フォンターナ」で修業を積んできた暢子が作った料理なので、どれも美味しそうですね。

暢子の孫は海外に行きパティシエになりたい

第125回終盤、暢子は自分の孫の青柳未来(子役・稲垣来泉いながきくるみさん)にこう質問します。
「未来は、海外に行きたい気持ちは変わらないわけ?」。
未来は、「世界一のパティシエ」になることが夢だと言います。


暢子は「うちは明日からも」、「大好きな人たちと美味しいものを食べたい!」と笑顔で言葉を加えます。 
暢子だけでなく現実の黒島結菜さんも、『ちむどんどん』を通してわかったことですが、常にポジティブで明るい性格の女優さんですよね。彼女もそういう大好きな人に囲まれた人生を送っていくのだろうな、と私は思いましたね。

みんなが食事を終えると、青柳和彦(宮沢氷魚さん)が三線を弾き、砂川歌子(上白石萌歌さん)が「唐船ドーヰさんてーまん」と歌いだします。『唐船ドーイ』は沖縄の有名な楽曲で、三線が早弾きをすることから難易度の高い楽曲だと言われています。曲の歌詞は下の参考URLから確認できますよ↓。

参考:沖縄ちゅらサウンズさん

比嘉暢子たちの高校時代の回想

『ちむどんどん』最終話のに、暢子が高校生だった頃の回想が流れます。
父の賢三はもう他界していて、母の優子・長男の賢秀・長女の良子・次女の暢子・三女の歌子、の5人でゴーヤーチャンプルーを食べています。
「子どもの頃、家族と食べた美味しいもの。共に過ごした思い出は、きっとその後の人生に勇気を与えてくれるはずです」(ジョン・カビラさんのナレーションより)

「暢子。今度はてびちも作ってちょうだい」
「暢ネーネー。イカスミジューシーも作って」
「マーサン!」(おいしい、の意味)

最後に、高校生の頃の暢子がやんばるの海の木で、シークワーサーを取って食べるところで話が終わります。





最終回の途中で、1985年からいきなり2020年代に飛んだのはとっても驚きましたが、主人公の暢子が68歳になるまで元気に料理人をやっていて、嬉しかったですし安心しました。
ただ、歌子がレコード歌手になる夢を叶え、和彦が沖縄の書籍を出すまでの経緯をもう少しドラマで深く掘り下げてくれたら良かったのかな、と思います。

記事を最後までご覧いただき、誠にありがとうございました。

青色ハイパーリンクのリンク先は、注釈がない限り、チョコミントブログ内の記事です。
※記事のアイキャッチ画像は、「いらすとや」さんと「HTMLカラーコード」さんの画像を借りて作成しております。 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA