『ちむどんどん』第121回 暢子が沖縄・やんばるで食堂を開くことに
2022年度前期朝ドラ『ちむどんどん』は、全125回で完結しました。
この記事では、2022年9月26日(月)放送の最終週第25週「やんばる!ちむどんどん!」、第121回のあらすじを追っていきます。
私は、『ちむどんどん』全話を視聴済みです。
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青柳暢子&青柳和彦が沖縄に戻る
時は1985年─昭和60年5月。
青柳暢子(比嘉暢子)(女優 黒島結菜さん)は、夫・青柳和彦(宮沢氷魚さん)、長男の青柳健彦(三田一颯さん)と、沖縄に帰ってから1年が経過していました。
暢子が東京に上京した1972年春が19歳になる年だったので、この年度で彼女は32歳になります。
『ちむどんどん』第121回は、黒島さんのナレーションで始まります。
黒島さんは、イタリア料理店「アッラ・フォンターナ」のオーナー、大城房子(原田美枝子さん)につづった手紙を読みながら話が進んでいきます。
暢子は沖縄で幼少期からお世話になっている近所の、新垣トメ(きゃんひとみさん)などに山原(やんばる)の畑のことを教えてもらいます。
砂川智&砂川歌子は豆腐の勉強をする
暢子は実家の比嘉家で、母親の比嘉優子(仲間由紀恵さん)・砂川夫妻・石川一家と一緒に食卓を囲んでいます。
暢子の妹・比嘉歌子(上白石萌歌さん)は、前週第24週の第119回(9月22日(木)放送)で幼なじみの砂川智(前田公輝さん)にプロポーズをされました。
彼らは晴れて結婚をし、歌子は砂川歌子になります。
1985年現在は、智に豆腐のことを教わっているそうです。
砂川家は、暢子が小学生の頃から豆腐店を営んでいます。
智は三兄弟の長男で、東京に出てから「スナガワフード」という野菜卸売業で働いていて、1980~1984年の間に沖縄にその会社の拠点を移していました。
歌子は、智の母親・玉代(藤田美歌子さん)とも上手くやっている様子です。
玉代さんは『ちむどんどん』2022年4月放送の回にも出演していましたね。
比嘉賢秀&清恵に長男が誕生
舞台は千葉に移り、猪野養豚場。
1980年、暢子の兄・比嘉賢秀(竜星涼さん)は勤務先である養豚場の娘・猪野清恵(佐津川愛美さん)にプロポーズをして結婚しました。
1984年4月時点で清恵が妊娠中で、その後元気な男の子が生まれます。
「赤ちゃんみたいなパパ」と言われつつも、「いないいないばあっ」と赤ちゃんに笑顔で声をかけたりして、3人で仲良く暮らしています。
清恵の父親・寛大(中原丈雄さん)は3人を温かく見守ります。
矢作知洋が沖縄料理店を引き継ぐ
暢子が創業した東京・杉並にある沖縄料理店「ちむどんどん」は、「アッラ・フォンターナ」時代の先輩・矢作知洋(井之脇海さん)が引き継ぎます。
矢作さんは、18歳の頃に前の職場で一目惚れした佳代(藤間爽子さん)と結婚していました。
一度2人は離れてしまいますが、銀座の老舗イタリア料理店アッラ・フォンターナで再会し、今は「ちむどんどん」で一緒に切り盛りしています。
ドラマでは、矢作さん夫婦が作った新メニュー「チキナーリゾット」の手描きポスターも壁に貼られています。
チキナー(清菜)とは、からし菜を塩漬けにしたものです。
参考:オリオンビールさん
和彦は執筆と取材を両立
舞台は沖縄のやんばるに戻ります。
和彦は、やんばるで東京に送る原稿を執筆する、沖縄のあっちこっちに行き取材をする──この2つの活動を両立させていました。
このとき、和彦は比嘉家の実家にて三線で「椰子の実」を弾いていました。
宮沢氷魚さんの現実での父親は、元THE BOOMの宮沢和史さんです。
彼が楽器を弾くところを、私はこの朝ドラで初めて見ましたね。
オーナーに沖縄に来てほしい
暢子は、手紙で「オーナー、いつ沖縄に来てくれますか?」と質問をします。
そう、アッラ・フォンターナのオーナーで暢子の親戚、房子はまだ一度も沖縄に来たことがありませんでした。
1. パパイアの漬物
2. かぼちゃの酢の物
3. モーイ豆腐
4. タコと小豆の汁物
5. シマナーンブシー
6. 貝のジューシー
また、暢子はこれらの料理を作って家族や近所の人々と「地元野菜と郷土料理の研究会」を開いています。
このとき、近所で商店を営む前田善一(声優で俳優、山路和弘さん)が勉強会に顔を出します。
暢子が5種類のサーターアンダギーを作ってみせ、善一は驚いています。
サーターアンダギーは飲み物なしでは食べられないということで、和彦が「カラキ茶」(沖縄のシナモンティー)を彼に出します。
参考:沖縄文化市場さん
暢子はレストランを作りたい
「こういうの(サーターアンダギーなど沖縄料理)を沢山食べられる店がない」
郷土料理研究会でこう話すおばぁたちを見て、暢子は「レストランを作りたい」と言います。さらに暢子はこう言います。「比嘉家の実家で食堂をやりたい」と。
暢子が18歳まで暮らしたこの家は、実は亡き父・比嘉賢三(大森南朋さん)が一人で何年もかけて建てた家でした。
早速暢子は前田善一(山路和弘さん)に頼んで、食堂を建てるのに必要な資材を調達してもらいます。
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資材を持ってきてくれたやんばるの人たちに、暢子の姉・石川良子(川口春奈さん)と妹・歌子はお茶や黒砂糖を出します。
大城房子がやんばるに来る
さらに嬉しいことに、アッラ・フォンターナの房子が初めて沖縄のやんばるにやって来ます。
暢子は道端で彼女を見つけ、「オーナー!」と嬉しそうに出迎えます。
暢子は沖縄に帰る前(『ちむどんどん』第24週第120回)、「ペペロンチーノ勝負でうちが勝ったら沖縄に来てください」とお願いしていたのです。
その願望が1985年にようやく叶います。
それを見た「まもるちゃん」(松原正隆さん)は房子の荷物を運ぶのを手伝います。
「ちょっと大事な話があって」。
房子は暢子に会いに来たのはもちろん、暢子の母親・優子に話があって沖縄に来たのでした。
今回は、連続テレビ小説『ちむどんどん』最終週・第25週第121回のネタバレを解説しました。
暢子のやんばるでの食堂の開店準備が上手くいくと良いですね。
大城房子の「大事な話」というのも、気になります。
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