フロイトの音楽嫌い―自身の音楽界隈外に生きる人の考えを理解しようと試みる―

筆者のイメージでは学者というのは、とりわけ精神分析学者は、ある対象について好き嫌いを問わず分析できる類の人間だ。人やものを通してなにか一つの感情を心の中に得たときに、人はなぜそれを感じたのかを考える傾向がある。

筆者はそれを特に音楽で実践することが多く、「聴いていてなんだかよくわからないけど愛している」という曖昧な感情や愛情からは卒業したつもりだ。そんなとき、大学院の哲学・思想専攻で筆者は哲学を始めた。ちなみに筆者の大学院での専攻はドイツ・オペラだが、もともと哲学に興味があったにもかかわらず、卒業した大学に哲学科がなかった。哲学に触るのは何年も前からの夢であった。

哲学の講義で読んだのはイマニュエル・カント(Immanuel Kant, 1724-1804)の 「弁神論の哲学的試 みの失敗Über das Mißlingen aller philosophischen Versuche in der Theodicee.」(1791)。今までまったく未知の世界であった哲学が、すこしだけ筆者の思考の中に入ってきた。

今回は、以前輪読したハロルド・ブルーム(Harold Bloom, 1930-2019)の著書『影響の不安 The Anxiety of Influence』(1973-)で言及されたジークムント・フロイト(Sigmund Freud, 1856-1939)に関する論考を取り上げる。論考とは、『フロイト・ラカン事典』に収録されている M.C. Lambotte の論考「精神分析と音楽」のことだ。

このLambotteの論考は5章構成。その内訳は「(無題の章)」、「感情表現におけるカタルシス」(第2章)、「声の鏡」(第3章)、「音楽と内心理的知覚」(第4章)、「音楽における『〈他者〉との関係』」(第5章)。これほど分析好きなフロイトが、音楽を嫌っていたというのはなぜか。

この論考ではその疑問を持つすべての人たちに返答をしようと試みる。この論考は終始、非常に密のある文章の集合体であるため、第1章と第2章のみを取り上げる。

フロイトは論文「ミケランジェロのモーゼ像」(1914)の冒頭で、「芸術作品を精神分析的解釈の網で捕らえ、それによって美的感動を前にしてなすすべを知らない知性の不安を静めようと試みる」(第1章、447頁)と書いている。

またこの学者は「芸術作品そのものではなくそれが観客や聴衆に引き起こす『欲動的』インパクトを精神分析的研究から除外しないように」(同頁)と考えている。その音楽の感動を理解できない悔しい思いを持ちつつ、「わたしにはある合理主義的な、もしくは分析的な傾向があって、その結果、自分が感動していながら、しかも他面その感動の理由、感動の根拠がわからないままでいるということに我慢がならない」と述べた(同頁)。

このようにフロイトが音楽による感動の言語化に苦労しているそのさまに、筆者は疑いもなく納得できる。なぜなら、自分がこの世の音楽を知り尽くしていないことを知っている時点で筆者は部分的にでも無知な状態だし、20世紀後半以降のクラシック音楽についてはまったくの無知であるためだ。

しかも、筆者もどのような言葉で表現すればよいのか見当もつかないような学問・分野について、何かしら語らねばならないときはまさに手探りの状態でそれを語る。

また、この論考の著者Lambotte(とその日本語訳者)は「『欲動的』インパクト」(447頁左段)、「もはや表彰の表現に還元できない心的ダイナミクス」(448頁右段)、「ディオニソス的魔力を与える感情の持つ原初的根底」(同頁右段)、「純粋に人間的な言語の感情的内容」(同頁右段)、「心的組織の異なった領域」(449頁左段)などの表現に現れているように、形容詞や副詞を用いた独自の言葉遣いに長けている。

第2章について、この章でもっとも印象的で批判的な文章を以下に記す。

「音楽的表現をその魂の本質と自然の本質への関わりにおいて問うことは、ただ音楽の持つ二つの力の存在を示しているにすぎない。それは一つは、感情の領域を言葉への可能な翻訳によって顕にする力、もう一つは音楽に、一般に人がそれに認め、またニーチェ[Friedrich Wilhelm Nietzsche、1844-1900]のような作家が明確にしたようなディオニソス的魔力を与える感情の持つ原初的根底を明らかにする力である。」(448頁右段, 挿入部分[]は碧による)

この節はフロイトの信念をもとにLambotteがこの精神分析学者の思いをまとめたもの。この節を含む論考を読み、感じたのは筆者の日常生活はつねに音楽が好きな人であふれていて、音楽を大好きとまでは言わないまでも何かしら音楽に関わりのある人たちに囲まれていたということ。

そのような環境にいるため、音楽界隈から絶対的に外にいる人たちの意見をあまり聞いてこなかったことをこの文章で自覚した。フロイトやLambotteからみた「音楽の持つ二つの力の存在」を批判的に認識し、一種の「音楽への嫌悪感」を取り除いて考えてみてもこの存在は一理ある、と思われる。

嫌悪感を抱き、嫌いだと認識している対象について人は、好きなものより言葉多く語る傾向がある。この論考を通じて筆者は、好きなものを同じように好きでいる人たちとの共有に行動範囲を限定するのではなく、その境界外にいる人の嫌悪感を優しく包み込むような言葉や感性で音楽を語りたいと考えている。

・参考文献
Bloom, Harold. 1997. The Anxiety of Influence. New York, Oxford : Oxford University Press.
Eliot, T.S. 2014. “Tradition and the Individual Talent.’’ The Complete Prose of T.S. Eliot : The Critical Edition, 105-114. Baltimore : Johns Hopkins University Press and Faber&Faber Ltd.
有福孝岳編. 1997. 『カント事典』. 弘文堂.
エリオット, T.S. 1971. 『エリオット全集第五巻』. 深瀬基寛訳. 中央公論社.
佐々木孝次監訳. 1997. 『フロイト・ラカン事典』. 弘文堂.
ブルーム, ハロルド. 2004. 『影響の不安』. 小谷野敦, アルヴィ宮本なほ子訳. 新曜社 

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